ドブ川見ながらカプチーノ

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自分の存在意義を見失って死ぬ



僕はよくネスカフェのカフェオレを飲んでいるんですよ。一杯分の粉末が小袋に入っていて、お湯を入れて飲む、みたいなタイプですわ。

その小袋をある日何気なく見ていると、「あなたの小さな幸せエピソード」という文字が。なんでも、おーいお茶のラベルに書かれている投稿川柳のように、一つの小袋に一行幸せエピソードが添えられているのです。気になっていくつか見てみると、

「学校の帰りに見た夕日が綺麗だった」

「愛猫が私のひざの上にやってきたとき」

「好きな人と手をつないでいる・・・夢をみた」

というものばかりでした。
もうね、ビックリするほど毒にも薬にもならないエピソードなのですよ。心臓に優しいというか、まさかのどんでん返し!とかいう展開が全く無い。まぁ、一行エピソードなのでね、そんなに面白いことが書けないことは分かりますが、それにしてもひどい。

「久しぶりに自分の好きな物を食べたとき」とかね、そんなんで良かったら無限に出てくるわ!って話じゃないですか。何にも創意工夫が感じられない。

そうして色々考えてゾッとしたんですけど、もし僕がこのような捻りの無い一行エピソードを延々と書き続ける仕事を生業としていたら、自分の存在意義を見失って死んでしまうと思うんですよ。

肉体は存在し続けるけど、自分という精神が死んでしまう。一行エピソードを書き続けることで、自分のあるべき姿を否定することになる。このように、自分の存在意義を見失って死んでしまうパターンをいくつか考えてゾクゾクしてみました。


『新進気鋭の前衛写真家が、修学旅行の集合写真専門の部署に配置される』

斬新な切り口で日常の一コマを切り取る前衛写真家。誰も考え付かなかった構図で世界を表現する点ではとてもアーティスティックである。そんな彼が集合写真ばかりを撮る毎日は果たして耐えられるのだろうか。
「前の人ー、後ろの人が見えないからもうちょっと座ってー、中の人は中腰ね。端っこの先生方、見えないからもっと真ん中寄ってください!じゃーいきますよー」
と言うたびに自分の精神が少しずつ死んでいく。自分の存在意義を見失う瞬間である。


『お笑い芸人を目指していたが、一向に売れる気配がない。嫁と子どもには出て行かれ、老齢の両親は泣いている。気づくと周囲の人たちを悲しませていた』

みんなを笑顔にさせてやろうと志してお笑い芸人になろうとしたが、自分のやっていることは人を悲しませるだけであった。そんな現実に直面した時、人は自分の存在意義を見失って死んでしまう。


『怖い話を生業にしている人が声変わり。ものすごくポップな声帯になってしまった』

稲川順二が可愛らしい子どもの声になったら、果たしてそれでも怖い話は怖いのか?ちょっと実験してみたいですね。


例えば僕がPTAで学級だよりを書かなければいけなくなったとしたら。奇をてらった記事はNGでしょうから、一行エピソードのように誰にも批判されず、誰の心も揺さぶらない文章を書かなければいけません。そんな時、自分の存在意義を守るのか、子どもの平穏な学校生活を守るのか。

最後の抵抗でドラえもんの4コマでも書いてお茶を濁そうかな。




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  1. 2014/07/10(木) 23:07:10|
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