ドブ川見ながらカプチーノ

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日本人の無宗教が故の笑いのポテンシャルの高さ




「おもしろき、こともなき世をおもしろく」と言ったのは高杉晋作ですが、
これはどういう意味なのかというと、この世のあらゆる出来事にはそもそも意味なんてない。
人が勝手にその出来事に特別な意味を持たせているのだ、ということです。

例えば、休日にオシャレして出かけようとした時、急に雨が降ってきたらどうでしょうか。
「最悪だ。そういえば朝の占いで今日の運勢最悪といってたな。きっとそのせいだ」と思うでしょうか。
しかし、当たり前ですが雨自身は別に意味なんてなく、降るから降るのです。
別に運が悪いからとか、仏滅だからとか、全国の雨男が武道館に詰め掛けているからではありません。

日頃からいくら善い行いをしても最悪なタイミングで雨が降ることもあるし、
どんなに悪いことをしている人に対してでも天の助けはあるものです。
そんな意味なく降るだけの雨に対し「良い雨」なのか「悪い雨」なのかを決めるのは人のさじ加減一つです。

毎日が特に意味なく過ぎ行くものならば、どうせなら毎日に面白い意味を持たせようぜ、
と高杉晋作は言ったわけです。


ところで、なぜ人は人生の貴重な時間を犠牲にしてまで必死こいて勉強するのでしょうか。
立派に働くためでしょうか。ではなぜ働くのか?金を得るためでしょうか。
ではなぜ金を得る必要があるのか?生きるためでしょうか。
ではなぜ、生きるのか?

「なぜ生きるのか?」とっても難しい質問です。生涯をかけても答えられないかもしれない。
この問いに正面きって自信満々で答えられる人なんているのでしょうか。
います。いるんです。むしろ、世界のほとんどの人が答えられます。

キリスト教圏の人に聞けば「神のためだよ」と平気で答えるだろうし、
イスラム教圏の人は「天国に行くためさ」と答えるだろうし、仏教圏の人は「解脱するためだ」と答えるでしょう。

なぜかというと、宗教とはそもそも「人は○○のために生きる」が最初から明確に決められていて、
「○○のために、日頃からこうしなさい」と教えられるものだからです。

つまり、宗教を信じるということは、自分が何のために生きるのか?を真っ先に解決させられるのです。
ある種、これはとても便利な機能です。だって、人生に迷う必要がなくなるわけですから。

そう考えると、宗教もそんなに悪いもんじゃないなと思えますよね。
何か分からないけど、上の偉い人がそう言っているならきっと正しいのだろう、と思ってしまえば、
後は自分で悩まなくていいのですから。こんなに楽なことはありません。

いくら会社が資金繰りで苦しんでいても、苦しむべきは社長で、
従業員はただ現場を回すことに専念していればいいのです。
「社長がこの方針でいくと決めたならば、従業員がとやかく言うべきじゃない」と思えば、
定時が過ぎれば仕事を忘れてプライベートに集中することができる。社長に比べ、従業員は楽なもんです。
乱暴に言ってしまえば、宗教を信じるということは、会社の従業員になるようなものです。


そう考えると、日本人ってすごいな、と思うんですよ。
日本人は無宗教の民族だと言われています。これといった教典に基づいて日々を生きていない。
つまり、日本人はとっても便利な宗教を拒否してまで、「何のために生きるのかは自分の頭で考える」
という道を選んでいるわけです。いわば自分の足で立って歩くという骨太な民族なのですよ。
これは世界中から「日本人キモイ」と言われても仕方ありません。

「○○のために生きなさい」という宗教を捨てるのですから、「自分は何のために生きるのだろう?」と
人生に迷ってしまうのは日本人の宿命です。これは仕方がない。人生の節目節目で、日本人は悩む。
お金のためか?名声のためか?愛する人のためか?答えなんてそもそも用意されていません。
人生にはそもそも意味なんてない。自分が思う様に意味をつけてあげればいい。
こんなこと言われたらね、そりゃ何が何だか分からなくもなりますって。

それでも日本人は、悩まないよりは悩み続ける人生の方が良いと思って無宗教という道を選んでいる。
いやー、かっこいいですね。


一方では、宗教を持たないが故に人生に悩み続ける日本人は可哀想にも思えます。
無駄に迷って、損ばっかりしているようにも見える。

いえいえ、そんなことは決してありません。
実は無宗教であるということは、とんでもない強みを持っているのです。

簡単に言えば、キリスト教圏の人は、神をネタに漫才はできないですよね。
神がいくらボケ倒しても、頭をどついてツッコミを入れることができない。それはタブーだからです。

ですが、日本人は葬式でさえコントの題材にして笑い飛ばすことができる。
無宗教であるがためにタブーが少なく、扱える笑いの分野がめちゃくちゃ広いのです。

これは日本人にしかない強みですよ。あらゆる出来事を色んな視点から見ることができ、
ここから覗けばこの出来事は面白く見えるぞ!ということを発見すれば、
それを制限されること無く表現することができる。

宗教を持ってしまうと、「この出来事はこう見なさい」と固定されてしまいます。
そこが宗教の良い所なんだけど、その分、笑いビューポイントがいくつか減ってしまうことになる。

無宗教の立場に立てば、あらゆる出来事も自分の勝手で解釈することができます。
とある人が「これは最悪な雨だ!」と言っても、「いえ、これはこんな理由で最高の雨ですよ」と言うことができる。
そもそも出来事に意味なんてないのだから、全てを笑いに変換することもできるのです。

「おもしろき、こともなき世をおもしろく」と言った高杉晋作の言葉は、
無宗教な日本人だからこそ、自分次第で世界中の誰よりもこの世を楽しく過ごすことができるぞ!
と鋭く指摘したものなのかもしれません。



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  1. 2014/06/09(月) 22:32:21|
  2. 日記
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

深いですねぇ〜。
無宗教だからこそ割り切れることがたくさんありますよね!(^○^)

宗教によっては食べるのを禁じられてる物もありますし…。
やっぱり日本はそういった意味では何も縛られず自由に生きられるんでしょうねー!!
ポテンシャルの高さは強みですね♫

ブログ更新ありがとうございます♡
明日も頑張ってください!( ˘ω˘ )
  1. 2014/06/10(火) 00:36:29 |
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  3. さく #SkZ2TKE2
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