ドブ川見ながらカプチーノ

主張したいことはないです。

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ツイッターの第六感としての使い方




このブログ、主張したいことはありませんと銘打っているにも関わらず、
記事のどれもが何かしら主張していることに関して、やはり自分はこのスタイルしか
ないのだなぁ、と思います。

本当は、普段の日常についておもしろおかしく、脳のどの器官からひねり出した表現だよ、
ってくらいのメチャクチャな文章を書き綴る人になりたくてブログを始めたんですけれども、
やはり自分には合っていないというか、文章が続かないんですよね。

書いている途中で、「これは本当におもしろいのか?自分だけじゃないのか?」なんて
我に返ってシュンとしちゃう。すぐドリチンになってしまう。
全然自分には合っていないわけです。

そうして、最初から最後までギンギンに文章があふれ出てくる書き方は何だろうと
模索しているうちに、何かを主張するスタイルが張り付いてしまったわけです。
これだったら最後まで自分が楽しめるだろうと、後で読み返した時でも、
あの頃の自分はこんな事を考えていたのか、という思い出にもなりうると。そう思ったのです。

そんなことで、今回もギンギンにさせて何かを主張することにします。


最近、ツイッターで誰と交友するでもなく、面白いことだけを淡々とつぶやく人について、
その人がツイッターをずっと続けているのはどうしてだろう?とよく考えています。

ツイッターの本来の目的は、世界中の知らない誰かとコミュニケーションをとるものなのですが、
その手の人は一切、その目的で使うことはありません。ツイッターを通じて誰かと交友を深めたり、
オフ会に参加して顔見知りになったりということはないようです。

他の使い方はというと、ツイッターを通じて自分のネームバリューを上げるという
ものですが、(おそらく)タレントでもない身分で知名度をあげたからといって、
何か日常において得になるかというと、全然そんなことはありません。

ツイッターにはフォロワー数やリツイート数やふぁぼ数を競う文化がありますが、
そんなものを1万も1兆も獲得したところで1円にもお金に代えることができません。
牛乳瓶のフタみたいなもんで、クラス中から「多く集めたお前はすごい!」という評価を受けても、
世間から見ればただのフタですからね。
そんなフタ集めが本来の目的なのか?と考えるとそれでもないようです。

それでは、その手の人がツイッターを長年続けている意味はなんでしょうか?
とても不思議です。


7世紀の中国の詩人に、白居易という人がいます。この人は何か面白い詩が思いつくと、
道行く街の人に「なぁ、今から俺が詩を読むから、面白いかどうか判定してくれ!」と言ってまわっていました。

そうして「うーん、前半部分がちょっと分かりづらいような気もする」と返ってくれば、
また家にこもって詩の構成を練り直していたようです。

白居易が大事にしたことは、自分が面白いと思ったものが、一般人に伝わっているか?
ということです。いわゆる、センスを磨いていたわけですね。
いくら自分が面白い!と思っていても、それは自分だけ面白くて、客観的にみると
ゴミ以外の何でもなかった、ということはよくあります。

また、人に評価されるということは自分自身の傲慢さを抑えることにも繋がります。
他人が「面白くない」という判断を下したならば、それはつまり面白くないのです。
表現が悪かったか、素材そのものが悪かったのか分からないけれども、とにかく面白くないと。

それは素直に受け止めて、反省する。だけれども、自分の「面白い!」と思った感性だけは
否定しないで、その「面白い!」を他人になるべく純度100%で受け入れてもらえるように
表現を工夫する。白居易はそうやってセンスを鈍らせないようにしていたのです。

この話を知った時に思いました。
ツイッターは自分にとっての研磨剤みたいな使い方もあるな、と。

現代に白居易が生まれていたら、ツイッターでめちゃくちゃ詩をつぶやいていたことでしょう。
なにせ、散歩の途中や入浴中、食事中のふとした時に思いついたものをつぶやいて、
ものの数分で「面白い」か「つまらない」かを客観的に判定してくれるツイッターは
垂涎の道具だったに違いありません。

あくまで推測の域なのですが、淡々とウィットに富んだつぶやきを投稿し続けている人は、
自分のセンスをせっせと磨いていたのかもしれません。面白い視点を持ってそれを披露できれば、
普段の生活がより楽しくなるからです。

自分で「面白い!」と思ったものを全く公表せず、大事に大事にしまっているだけでは
その面白さは象牙の塔でしかありません。

ツイッターで馴れ合いを求め、ふぁぼを稼いで承認欲求を満たすのもいいですが、
ストイックに自分の審美眼を養い、日常を楽しむことを目指すならば、
ツイッターは1300年越しの夢の道具となりうるのです。

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  1. 2014/01/30(木) 00:11:28|
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