ドブ川見ながらカプチーノ

主張したいことはないです。

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大人の小説だったら書けるんじゃないの





小説を書いてみようと思うんですよ。

最近、池井戸潤のルーズ・ヴェルトゲームという小説を読んでいるのですが、この本、ベタのお手本です。


世の中には子どもの小説と大人の小説があります。

子どもの小説というのは太宰治のような純文学というジャンルで、
「どうしてこんなに僕は不幸なんだ!あぁ、もう人生に絶望した!何もかもが嫌になった」とひたすら自分の境遇を嘆く内容のものです。

ドラえもんの、のび太もこれに似たようなことを言っていますね。
「僕は本当に何もできない、ノロマで、クズで、弱虫で・・・」といった感じ。
全体的に陰鬱な結末を迎えることが多い傾向にあります。

これに対して大人の小説というのは、不幸な境遇に身を置きつつも、仲間で乗り越えて、ハッピーエンドを迎える内容のものです。週刊少年ジャンプのマンガが主にこの傾向ですよね。少年ジャンプと謳いつつ、しっかりと挫折、苦労、達成を経て大人に成長していくマンガを載せる。まさに大人の小説です。

前者の小説はまさに書けるべき人にしか書けません。太宰治の人間失格に至っては、人生で堕落し続けた経験がなければ書けないような内容になっています。つまり、作者が本当にそう感じたり考えたりしない限り、筆が進んでいかないのです。

後者の小説は空想や妄想で足ります。大航海時代を経験しなくてもワンピースは書けます。大人の小説ですから、物語を盛り上げる挫折エピソードを挿入し、仲間と乗り越える理由をくっつければ形になるからです。
それが、ルフィの少年独自の悲しみや憤りだけを詰めた子どもの小説にしようとすると、これを書くのは難しいでしょう。21世紀の人間が、16世紀に生きた人間の嘆きを作り上げるのは無理があるからです。


そんなわけで、僕もある程度決まったルールに従えばそれなりの形になる大人の小説だったら書けるのではないかと思ったので、即席で作ってみようと思います。

テーマはなんでもいいです。じゃぁ、登山にしましょう。ちょうど今、テレビで富士山が映っていました。
ルールは、挫折→苦労→達成の流れを汲むこと。それのみです。



タイトル「富士山」


翔太は富士山に登りたかった。理由はややあるが、子どもの頃からの夢だったのだ。いつか富士山に登りたい。いつか、富士山の山頂で日本の形を眺めたい。翔太は高校を卒業後、すぐに手に職をつけて資金を貯めることにした。富士山を登る軍資金として。

しかし、父の正造はそれを許さなかった。
「バカは何でも高いところに上りたがる。登山をするモンはバカモンだ」
それが彼の口癖でもあった。

翔太と正造はいつも衝突した。登山について何も分からないくせに!
そう言って家を出たこともあった。その時、父が顔に悲しげな影を落としたことを翔太は見逃さなかった。

あるとき、正造が倒れた。
幸い大事には至らなかったが、病院でしばらくの安静が必要らしい。翔太は正造が病室で必要になる物を取ってくるため、初めて正造の部屋に入った。

正造の書斎を整理していると、翔太は驚いた。正造が若い頃に登山をした写真のアルバムが出てきたのだ。どれも古い写真ばかりだ。20代、正造は親友の浩助と一緒に日本の山を制覇していたらしい。そしてアルバムをめくっていると、最後のページに浩助からの手紙が挟まっていた。

「来年は富士山に挑戦しような」

しかし、いくら探しても、正造と浩助が登ったらしき富士山の写真は出てこなかった。


病室、翔太は正造にこの件について話した。すると、正造はポツリポツリと話し始めた。
「実は、俺が若い頃、お前のように登山が大好きだったんだ。親友の浩助を誘っては、山という山を登り尽くしていた。

そして30年前のあの日、俺と浩助は富士山に挑戦した。8合目まで行ったかな。あと少しで頂上だという時に、不意に足を滑らせた浩助は転落していった。その後、病院で手当を受けたが、あいつは亡くなった。俺がもっと注意していれば。俺のせいだったんだ。
何度も自分で自分を責めた。そして、二度と自分の身内を登山させまいと誓ったのだ」と。

翔太は言った。父さん、過去から逃げてばかりじゃだめだ。もう一度、富士山に登ろう。三ヵ月後は30年前の浩助の命日だ。その日、一緒に富士山に登って、墓参りをしよう。

正造は思った。今、患っているこの病も、元々はあの日の罪悪感から来ているのかも知れい。
正造は初めて、翔太の言うことに首を縦に振った。


三ヵ月後、翔太と正造は富士山に登った。そして、八合目に着いた。
30年経っても忘れもしない、あの場所。そこに行くと、一つの墓標が立っていた。
「吉田浩助 享年29歳」紛れも無く、彼の墓標だった。

翔太と正造が手を合わせていると、一人の女性がやってきた。
そして、正造に近づくなり「もしかして、中村正造さんですか?」と聞いてきた。

話を聞くと、女性は浩助の妻だという。正造は驚いた。そして、謝罪をした。
「申し訳ありませんでした。私のせいで、浩助を死なせてしまって。あの日から私、ずっと登山から離れていました。浩助も私を恨んでいることでしょう」

すると妻は震える正造の手を握って言った。
「そんなことはないのです。夫は病院で、私にこう言ったんです。
『正造に伝えてくれ。俺のせいで登山を諦めるな。俺が死んでもいつかきっと、富士山を登りきってくれ』と。
私はすぐにこのことを正造さんに伝えたかった。それが亡き夫の最後の言葉だったから。

でも、正造さんは私の前から姿を消してしまった。連絡をとる手段もなかった。だから私は、夫の命日に毎年ここまで墓参りすることにしたのです。そうすれば、正造さんもいつか心の整理がついた時に、夫の命日に墓参りに来てくれるだろうと思って」

それを聞いた正造は泣き崩れた。
すまなかった、と言って。

富士山の夜明け前の闇が正造の涙を優しく隠した。


END



どうですか、これ。なんすか、これ。
途中からちょっと正造に感情乗りすぎて翔太が空気になってしまいました。

こんなくだらん話考える暇があったらルーズ・ヴェルトゲームの続きを読み進めるとしますわ。

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  1. 2014/09/23(火) 23:05:26|
  2. 日記
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泣く子も黙る鬼のコミュ力




どうも、コミュニケーション能力の鬼、dattoです。
僕のコミュ力はメジャーリーグ並みでして、先日もメジャー球団ブルージェイズからの飲みの誘いを断ったばかりです。

高校の頃から僕のコミュ力は並大抵のものじゃないとは思っていましたが、仕事を始めてからその抜きん出た才能に気づき、自分でも驚いてしまいました。

コミュ力が高い人とは簡単に言えば、場の雰囲気をプラスの空気で充満させることができる人です。幼馴染が数人集まって楽しく語らうことは簡単ですが、それほどお互いのことをよく知らない人同士で楽しく語り合おうとするのはとても難しいものです。そこをどのように良い雰囲気を設計していくのか。どのような仕掛けを駆使してプラスの空気を焚くのか。それを場の誰よりも考える人がコミュ力が高い人なのです。

今回は仕事の飲み会の席で、ここを押さえればコミュ力が高くなる2つのポイントを紹介します。誰しもが陥りがちなミスを回避して、着実にプラスの空気を作っていきましょう。


ケース1
【先輩が、自分がいかにパチンコが好きかを語り出した】

設定としては、自分はパチンコが嫌いだということです。パチンコなんてお金をドブに捨てるようなもんだし、貴重な休日にあんなうるさい場所に行っていられるか、と心の中で思っているような状態です。

そんな時、先輩が「君はパチンコやらないのか?」と聞いてきたら、どう返せば一番いいのでしょうか?


やってしまいがちなのが、それ待ってましたとばかりに、パチンコがもたらす害悪をとうとうとその場で語ってしまうことです。これはアウトです。ゲッツーです。6-4-3の併殺打です。

どうしても賛成派と反対派で対立してしまうと、ピリピリした雰囲気になってしまいます。しかし、自分の立場を変えて相手になびくのも何だか癪に障ります。自分の立場を守りつつ、反対側の相手にどう対応すればスッキリするのか?

僕がいつも使う言い回しは、
「自分には向かないと思うんですよね。あまりピンとこないのですよ」
これの汎用性に優れている所は、自分の立場を保持しつつ、相手の立場を一切傷つけない点です。

「パチンコするとお金が無くなる」「時間の無駄だ」などという客観的事実に基づいて反論すると亀裂が生じずにはいられません。ヘタすると相手の気分を害することにもなります。
しかし、「パチンコって何となく自分の性に合わないと気がする」という、あくまで主観的に反論すると、相手は何も言えません。だってそう思っちゃったんだからしょうがない。相手も「まぁ、いっか」となる。

相手に反論する時は、できるだけ主観的な理由で応えましょう。根拠に基づいて反論すれば理論的ですが、コミュ力が高いとはいえません。


ケース2
【40代女性が、ホラ、あたしってオバサンじゃない?と言い出した】

ここの争点は簡単です。どう相槌を打つのか?
会話の流れで「ハイ」「ウン」「そうですね」と普通に相槌を打つと「オイ」とオバサンから怒られてしまいます。

しかしながら、「そんなことないでっすてばー!お若いですよー!」と返すのもコザムイ感じがしますね。どんな相槌が適当なのでしょうか。

正解は一つしかありません。「んー…?」これです。
最後の「?」がポイント。「えー?」のニュアンスで、「んー…?」と言いましょう。

この相槌がもたらす効果の1つは、「あなたはオバサンには見えないけど?」というニュアンスになること。その他には、「よく聞き取れなかったけど?」という逃げのニュアンスにもなるのです。

前者の意味で相手に伝わっても相手の気分を害することにはなりません。
後者の意味で相手に伝わっても、「聞こえなかったのかな?」とスルーされてしまえばおしまいです。しかし、「だからー、私はもうオバさんでしょ?」とさらに追い打ちをかけてきたらどうすればいいのか?
その時は、「そんなことないでっすてばー!」と大袈裟にギャグっぽく言いましょう。そうすれば相手も「ウソばっかし!」と笑ってくれます。どう転んでも寒い感じにはならないのです。


普段から言い回しの上手い人をよく観察していると、どうしてこんなフレーズが出てくるんだろう?と疑問に思うことがあります。しかし、家に帰ってよく考えてみると、なるほど、色んな状況に対応したバランスの取れた言い回しであると気づかされることが多々あります。

僕はそんなバランス感覚に優れたフレーズを書きとめておくことが好きなので、暇を見てはこれからちょこちょこ紹介していこうと思います。

次回は葬儀場で役立つコミュ力の高いとっさのお悔やみフレーズ特集です。
心して待つように。

  1. 2014/09/04(木) 22:34:43|
  2. 日記
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