ドブ川見ながらカプチーノ

主張したいことはないです。

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個性としての笑い声







例えば、インターネットをしててよく見かけるのが、

「wwwww」

という、フレーズなんだけど、これは何かに対して笑っている時に使うものじゃないですか。
(笑)の「わらい」が省略されて最初の「w」だけが残ったという説もあれば、
「w」がそもそも笑っている人の口元のようだからという説もあるし、
ピラミッドはそもそも墓なんかじゃないという説もあります。

インターネット上の文字媒体で人間の感情をどのように表現するのか?というのは永遠のテーマなのです。
「テメー、ふざけんなよ」このセリフを笑って肩パンしながら言えば、受け取る側も冗談だなと簡単に分かるのですが、
メールという文章だけの世界でこのセリフを使ってしまうと、場合によっては「本当に怒らせてしまったのでは?」と正しく感情の
疎通が取れないことがあります。
「テメー、ふざけんなよ。わしゃオードリー・ヘップバーンか!」このぐらいまでしないと、
文字だけで冗談を冗談だと相手に伝えることは難しいものです。


そもそも、文字という限られた中で、相手に自分の感情を正確に伝えろとは贅沢な注文です。
どうすれば「笑ってる感じ」を演出することができるか?先人達は頭をひねって考えました。

手塚治虫は、何も音がしないという効果音「シーン」を発明したことで知られていますが、
それと同じくらい困難なことです。かぐや姫が貴族に課した条件並みの無理難題に立ち向かい、
長い年月をかけて、ようやくたどり着いた答えが「wwwww」なのです。

しかし、現代の僕達はそれに甘んじて、何の疑問もなく「wwwww」を使っているわけだけど、
はた、と立ち止まって考えてみる。果たして、それでいいのか?笑い声が、そんなんでいいのか?


なぜそう思うようになったかというと、この前、踊るさんま御殿を観ている時に
「笑い声がデカい奴ほど、場の中心にいる」ということに気付いたんですよ。

明石家さんまの笑い声なんかその最たるものですが、彼は「アァー!アァー!」というハイトーンで笑うじゃないですか。
あの笑い声を聴くだけで何故かこっちも笑ってしまう。引き笑いの引き寄せ笑いですよね。

笑い声が面白いのは一つの才能です。なぜなら人の笑い声は兄弟でも全く違うものだから。
笑い声は個性の象徴なのです。

世界中探しても、自分と同じ笑い声の人はいないのです。
「だはははー教壇に立っておしっこするじょー ジョジョー」と笑う人もいれば、
「クックック・・・最初の遊びの段階で止めておけばよかったものを・・・」と嗤う人もいるし、
「フン、藤木くん、君はいつだって卑怯だよ」と哂う人もいる。

人の数だけ笑いがあるというのに、簡単に「wwwww」だけで統一していいのでしょうか。
「w」の数が、笑いの大きさを表してる、なんてシレーっと言っていいんでしょうか。

「wwwww」ってのは、車のクラクションと同じなんですよ。
老若男女、誰が押しても、いつ押しても、同じ音、同じ大きさでクラクションは鳴るわけでしょ。
違うのは押す長さだけであって、あとはみんな同じ。それと「wwwww」は変わらないのです。

笑い声が、車のクラクションと同じわけがない。そうなんです。そこにみんな気付くべきです。
笑い声は人の個性。しかしながら、インターネット上では「wwwww」という無機質なクラクションでしか
笑いを表現できていない。ここに大きな問題があります。

僕が提唱したいのは、あらかじめ自分の笑い方を文章に興しておいて、ここで笑うぞ!という時に、
コピペする方法なのです。これで、笑い方がクラクション化されることは無くなるのです!



そして、ある日のインターネットの風景


「俺は今日も今日とて電車に乗っていたわけだ」

「うん」

「満員電車だったからモミクチャにされてたんだけど、構わずハンバーガー食べ続けてたらさ」

「うん、モミクチャの満員電車でハンバーガー食べてちゃダメだね」

「電車の揺れでハンバーガーのソースがサラリーマンのスーツに付いちゃったんだよ アァー!アァー!」

「ほら言わんこっちゃない」

「さすがにやばいと思ってさ アァー!アァー!
分からないように手でしっかり拭いておいたけど、べったり股間に跡が残ってたわ アァー!アァー!」

「ていうかサラリーマンの股間をしっかり触ってんじゃねーよ!絶対お前ホモだと思われただろ!」

「アァー!アァー! アァー!アァー!」


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  1. 2014/04/30(水) 22:10:54|
  2. 日記
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ちょっとだけよ



どうやら僕は「チョイ残し症候群」を患っているようです。

俗に言う、あの「チョイのこシンドローム」のことですが、
どういう症例が報告されているかというと「物事の最後のあとちょっと!
の所で全てを放棄してしまう」
という完璧主義者が聞いたら怒りに狂い出す、そんな行動をしてしまうのです。

例えば、友達と一緒に定食屋に食べに行くとします。
友達が納豆定食を注文して、僕はヒレカツ定食を注文する。
ぐだぐだとしゃべりながら食べるわけです。

ほどなくして友達は納豆定食を食べきるのですが、
僕はヒレカツをちょっとだけ残すんですよ。
いや、別に悪気があってちょっと残してるわけではないのです。
「へへへ、ヒレカツなんて残してやらぁ」という心づもりがあるわけではないですし、
雨の日に橋の下で捨てられている子犬を見つけた僕は、「お前も飼い主に捨てられたんだね。
人間を怖がるような目をしている。ふふ、僕もお前さんと同じようなもんさ」と思い、
その日から食卓の余った食べ物を袋に入れては子犬に食べさせているわけではありません。
ただ純粋に、全部食べきれないのです。

これはね、ヒレカツ定食に限った話ではなくて、もっと量の少ない納豆定食を食べても
チョイ残しはしますし、ごはん定食を食べても、ごはんをチョイ残しするんです。

「なんだよお前、チョイ残しすんじゃねぇよ」と友達に毎回言われるんですが、
そんなことは重々承知なのです。僕だって出来るならばチョイ残しなんかしたくない。
何の為に生まれて、何をして生きるのか、答えられないままなんかいたくない。
そう思うわけです。できるならばカバオももらったアンパンを
最後まで食べきりたいと思っているのです。


そう考えてみれば、僕は今までエンディングまで迎えたゲームは
一つもないのかもしれません。

子どもの頃からゲームが好きで、その中でも僕はRPGが好きなんですが、
はたと思い返してみると、RPGでエンディングまでやったゲームなんて無いのではないか。

なけなしのお金を払ってやって手に入れたゲームですよ。
主人公を強くして武器を手に入れて攻略して、
ラスボスまではちゃんと行くけれども、エンディングを観たゲームなんて無い。

これまた「チョイ残し症候群」の話になってしまうんですが、
ラスボスまでいって、あと少しで倒せそう!という気持ちになると、
急にテンションが下がって、ゲームをブチッ!と切ってしまうんですよね。
その情緒不安定さね。好きな人の尻穴を嗅いだ時のように一気に冷める。
だから、エンディングが観られない。

たまに「俺は○○っていうゲームは3周したわ~」っていう人いるんですけど、
もう信じられないよね。どうしてゲームクリアするんだよって思う。
ゲームはエンディングを観ずに売り払うのが筋ってもんだろ。

やっぱりさ、途中までの過程が一番面白いわけじゃない。
いっぱいレベル上げして、いっぱいアイテムとって、ステータスが最高潮に
達した上でラスボスに挑むというあの過程ですよ。

僕の場合はですね、まずラスボスと闘います。そして、最初は余裕で
ボコボコにされるんですよ。そうするとテンション上がりますよね、
「よっしゃ!やってやる!」と嬉しくなりますよね。

そして、しこしことレベル上げ。めっちゃ強い武器防具買って、アイテム揃えて、
もはや、小学生がコントロール握ってもラスボス倒せるってくらいまで強くして、
ゲームをブチッ!と切るんです。はい、終了。僕の中ではこのゲームは
クリアしたことになりました。

だってさ、そこまで強くしたんならさ、わざわざラスボス倒す必要なくない?
どうせ勝っちゃうんだよ、余裕で。ボタン連打して、
決められた戦術で押し通せば、いつか勝てるんだよ。
そんなのさ、意味ないじゃん。そう思いませんか。

このゲームの話は一つの例でありまして、僕は至る所で「チョイ残し」をしてしまいます。
99まで物事を進めたら、100までいかずに、ブチッと終了。絶対に100まではいかない。
それが「チョイ残し症候群」なのです。多分、僕と同じ人はたくさんいると思うんですよ。

ペットボトルに入ったジュースを、あと一口、というところで飲むのを止めてみたり、
テスト勉強をするにも、あとこの1ページで終わり!というところで止めてみたり、
第一話から通しで観ていたドラマを、最終回の残り10分くらいのとこでお風呂に入りに行ったり…。


結論です。
チョイ残し症候群とは次の一言に表されると思います。それはつまり


  1. 2014/04/21(月) 21:11:31|
  2. 日記
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僕たちは商品棚に並べられたミカンじゃない




行列に並ぶのがものすごく嫌いです。

長い長い列の最後尾に並び、ボーッとしながら、ひたすら何かを待っている。
並びながら何をするでもなく、何を話すでもなく、携帯を開き、携帯を閉じ、
時計を見、携帯を開き、すぐ携帯を閉じる。あぁ、まだ5分しか経っていない。
想像するだけで悪寒がしますよね。

例えば、初売りで人気の福袋を買おうとか、限定の電気製品を買おうとか、
今日は生活保護の受給日だから誰よりも早く受け取ってその足でジャグラー打ちに
行こうとか、開店前に並ぶ機会なんて人生でいくらでもあるじゃないですか。

でもね、行列の最後尾に立って、何もせず、口をあんぐりあけて待っている
だけってのはすごい負けた気がしてしょうがないんですよ。
敗者だ。俺たちは負けたんだ。あの戦争に負けてから、食料は配給制となり、
ひとり一つのお椀を持って、ひとすくいのスープを注いでもらうために毎日並ぶ。
そう考えていると、とても惨めな気持ちになるんですよね。

大体ね、そんな2時間も3時間も並ぶくらいなら、もっと他で面白い
ところ探すわ!って気になりますよ。3時間もあればなんでもできちゃうものね。
仙台から山形まで車で行って帰ってくるぐらいはできる。
脇目もふらず高速をぶっ飛ばしていけば往復できる。
このように3時間を有効的に使うことができるのです。


しかしながら、行列に並ぶことを避け続けていれば、
当然ながら行列の向こう側にある楽しみは、一生味わえないで終わってしまいます。

テレビで取り上げられるめちゃくちゃ美味しいラーメン屋とか、
隅田川の花火大会とか、ピエリ守山とか、行列に並ばなければ一度も行けない
場所があります。考えれば、これは大変なことですよ。

なるべく行列に並ばない人生を送りたい。ただ待っているだけで
無為に過ごす時間は、人生で1秒たりとも味わいたくない。
けれども、並ばなければその先にある発見が分からないまま終わる。
そんなのはイヤだ。まさに、行列と楽しみのジレンマ。


大学生の頃。

当時の僕は付き合っている女性がいまして、今はもう別れてしまったんですけども、
元交際相手の女とでも言いますか、そうするとなんだか事件性を帯びてくるので
その表現は差し控えたいんですけども、まぁ、彼女がいたんですよ。

その彼女とですね、地元の遊園地に遊びに行ったことがありました。
休日の遊園地ですからね、人も混んでおりまして、なかなかの盛況ぶりでした。

よっしゃ、1日フリーチケットも買ったし、色んな乗り物に乗るか!
ってなったんですけど、やっぱり僕ってば、並ぶの嫌いですからね。
「待ち1時間」とかあると、スルーしちゃいますからね。
外角高めのボール球ですよ。絶対に手は出さない。

しかし、休日の遊園地ですから、人気アトラクションはほとんど
「待ち2時間」とか平気であるわけ。それらを全部避けていくと、
最終的に残ったのは、マネキンが置いてあるだけのお化け屋敷と、
コーヒーカップで延々と回転するものしかなかった。

あそこもダメ、あそこも並んでる。あのジェットコースターにいたっては、
「待ち2時間半」ときた。話しにならないよ。仕方が無いからまた回転しよう!
となるわけ。

もうね、彼女もさすがにウンザリきちゃったようで、
「友達と来た方が良かった!」とか言って、プンスカ怒りだしてしまいます。

それで午前中でお帰りですよ。1日フリーチケットを買ったくせに、
お昼も食べずにバスでさよなら。しかも、コーヒーカップで回転しすぎたせいか、
バスに酔って吐き気がとまらない。
コーヒーよりもドス黒いのが出てくるかと思った。


そんな過去を教訓にしてね、これからは少しずつ、行列にも慣れていこうかな、
と思いました。行列と楽しみはワンセット。いっぱい待つからこそ、
楽しみもいっぱいもらえるんです。

ちなみに、最近風邪っぽかったので、今日のお昼に、近くの大学病院に行ってきました。
結果、待合室で長時間待たされて、本格派の風邪をもらってきました。
今は熱が39度あります。吐き気もあります。

こういうときは頭をボーッとさせながら、早く風邪菌がいなくなるのをじっと待つのみです。
現実に悪寒がしている。


  1. 2014/04/21(月) 21:07:57|
  2. 日記
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トイレの話





いやね。ちょっと聞いてくださいよ。

この前、休日にドライブに出かけていたら、急にお腹が痛くなってきましてね。あぁ、これはすぐにトイレに行かねばならない。親を質に入れてでも大をせねばなるまいと思いましてね。近くのコンビニに直行したわけですよ。

自動ドアが開いて、店員の「シャセー」が言い終わるか終わらないか、ぐらいの早さでトイレに駆け込んでみると、やっぱりですよ。

女性トイレと共用トイレがあったのですが、共用トイレが使用中でした。やっぱりか、どうも今日はついていない。そういえば今日はうお座は最下位だったっけ。「何をしても思い通りにはいかない1日になりそう。朝起きてすぐに牛乳をグイ飲みすると運気アップ」と言われたっけ。起き掛けにそんなことしたら腹も下すというもの。


まぁ、普段の僕だったらどんな状況になろうと動じませんし、それこそ英国紳士ばりに顔色一つ変えないで、「あら、共用トイレが使用中なのかしら?きっと男ね。どんなボーヤが出てくるか舌なめずりして待っててあげるわ」なんてラックのプレイボーイを読んで待っていたでしょうが、今日は事情が違います。

すでに限界に来てまして、右側のお尻がピクピクいってて、目盛りいっぱいの状態。臨界点も突破。メルトダウンも必至てなもんです。こりゃぁ、もしかしたら次のプレイボーイの一面を飾る醜態をさらすことになるぞ、と思いましてね、「南無三!」とばかりに空いた女性用トイレに飛び込んだのです。

いや、飛び込めませんでした。飛び込むことができませんでした。どうしてか?

女子トイレは空いていました。完全なる空室。俺の部屋。俺の帰るべき場所。そう思っていたのですが、すんでの所で店員さんと目が合ってですね、「女性トイレに入ろうとしてんじゃねぇぞ」みたいな目で睨みつけられました。

さすがの僕もこれには「へへぇ、すいやせんでした!いや、冗談に決まってるじゃないですか兄貴!へへっ、へへっ」ときびすを返すしかありませんでした。


家に帰り、風呂場から出てきてよく考えてみたのですが、どうも納得いきません。

今回のトイレは女性トイレと男性兼女性(共用)トイレの二つ。コンビニなんかでも見かけるポピュラーなトイレの配置です。

僕は共用トイレが使用中だったから女性トイレを使おうとしたのですが、これのドコが違反なのかが疑問です。そもそも、二つとも共用トイレではだめなのか?

まず、どうして男性が女性トイレを使ったらダメなのかが分からない。

女性が使う便座に、男性が座ると不潔な感じがするからでしょうか。いやいや、共用トイレは男も女も座ってるじゃないですか。共用トイレの存在を肯定しているならば、「男性が座ると不潔である」という理由は成立しません。

女性トイレには、男性は来て欲しくないからでしょうか。いやいや、男性トイレにも、女性は来て欲しくないですよ。
そう考えてると、女性トイレと共用トイレって、実は区別してるようで、全然区別されてないんですよ。

だって、「男も女も使ってもよろしい」というルールがありながら、「でもここは男は使っちゃダメ。ゼッタイ」という聖域を作るなんて、おかしいでしょ。だったら最初から厳格に区別しろよって話しで。

だからね、僕としましては、女性トイレではなくて、「女性優先トイレ」とするべきだと思うんですよ。電車の優先席みたいな感じです。平時の場合は男女どちらのトイレを使ってもいいけれど、混んできたら、男性は「女性優先トイレ」を使わないようにしましょうと。そっちの方が平等ですよね。

そう考えると、善良で高貴な徳の高い市民であるこの僕がですね、極悪非道な店員から睨みつけられるゆえんは何も無いわけですよ。パンツとズボンの洗濯代を請求してもいいわけですよ。

だから、僕はこれから堂々と女性トイレを使うのだ!と、ここまで書いてなんなのですが、気になって「女性用トイレ 使用 犯罪」で検索してみると、過去にややあったケースがあるらしいので、結果、女性用トイレを使うことはできません。

男は黙って風呂場でパンツを洗おう。

  1. 2014/04/21(月) 21:04:16|
  2. 日記
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